ギターとの出会い
2007.2月の半ばから猛烈にギターが弾きたくなって、毎日、家族が寝静まったのを見計らって真夜中のギター練習と録音をしています。 フルート吹きがなぜクラシックギターを弾くのか疑問の方もいるでしょうから、ギターについての自己紹介をしておきます。
【ギターとの出会い、中学編】
中学2年生の時、友人の弾くアルハンブラの想い出を聞いていた気になる女の子から「あなたはギターは弾けないの?」と言われ、即座に「同じくらい弾けるよ」と嘘を言ってしまいました。「じゃあ代わって弾いてみて」と言われてももちろん弾けません。「今は爪の調子が悪いから2週間待って」こう言ってその場は逃れたものの、さあ大変。学校の帰りに楽器店に寄り、アルハンブラの想い出の好楽社ピース(これを知っているならけっこうな年のはず)を購入、NHK教育テレビの「阿部保夫のギターを弾こう」を見て猛練習!
なんと、二週間でアルハンブラの想い出をヘタクソながら弾いてしまった。
その後にイエペスやセゴビアのレコードを聴いて曲を覚え・・・
私は物心ついた頃から絶対音感があったので、信じられない方もいるでしょうが、ヴィラ=ロボスの練習曲1番と前奏曲1,3番など楽譜が手に入らない曲は楽譜を見ること無しにレコードを聴いて暗譜、演奏していました。
でも所詮独りよがり、本格的なギター演奏に突入するのは高校時代になってから・・・
【いちばん上手かった頃】
高校に入学する頃には相当上手くなっていて、ヴィラ=ロボスの曲や魔笛による変奏曲、グラン・ソロ、アストゥリアスなども弾けるようになっていました。
ちょっと天狗になっていた私に高校の担任の先生(たまたま音楽科教諭)が「ちゃんとレッスンを受けたら?」と紹介してくれたのが、たくさんのプロを育ててきた山下亨氏(山下和仁氏の父)でした。当時、続々と強者ギタリストを輩出していた名門です。
初めて教室を訪れたとき、別の部屋で中学生の和仁くんがシャコンヌを練習していました。「バスの声部をもう少し変化をつけて・・・」と指南しているのは先輩の山口修氏。彼らの演奏聴いて天狗の鼻もメルトダウン、本気で練習することになりました。ただフルートと二股かけていた私は最も不熱心な生徒だったかもしれません。先生はそれなりの期待があったようなので申し訳なく思っています。師事したのは2年半ほど、コンクールで入賞したりしましたが、その後は再び自己流に回帰してしまいました。
(当時は)暗譜と初見は抜群だったので、ものすごい数の曲を覚えていきました。変な話ですが、自分が何を暗譜しているかを覚えられなくて暗譜している曲のリストを作っていたほどです。
楽器もラミレス2本、ラミレス10弦、河野2本、星野などしょっちゅう下取り買い換えをしていました。フルート以上に早いローテーションでした。フレタは好きになれなかったけど、ブーシェとエルナンデスは欲しかった。もちろん買えなかったけど。
しかし、その後23歳の時の挫折により25歳では完全にギターをやめてしまうことになります。
【挫折と暗黒時代】
大量のレパートリーを蓄えた私は、無謀にも「プロになろうかなぁ」なんてことを考えたりするようになりました。ちょうどその頃、周りの勧めもあり東京国際コンクールに挑戦することにしました。
私は本来、孤独を愛する内向的な人間です。もちろんこれでは仕事ができませんので、営業をするようになってから別人格を育て上げたのですが、本当は根暗です。ステージに立つとガクガク震え、どの弦を弾いているのかもわからなくなり、大粒の汗がしたたり落ちる・・・これが現実です。それでも、そこそこ演奏できたので1次予選は通ったものの、2次予選はそうはいかず2年挑戦しましたが2回とも1次敗退となりました。
人前で演奏する性格ではないことに気づき、将来の人生をどう送るか迷っていた時に、吹奏楽関係の方の紹介で楽器業界にはいることになりました。
楽器業界でトップセールスマンになると決意しました。ギター・フルート・営業の3つで成果を残すことは不可能です。P.ドラッカー風に言えば「最も得意とする分野に資源を集中せよ」ということで、営業に集中することにしました。管楽器を中心とした楽器店だったので、フルートは営業に役立ちましたが、クラシックギター役に立たないので完全にやめる決意をしました。10年以上切ったことのない右手の爪をパチンと切り、愛器のラミレス、星野良充、河野賢は全部中古で売り払ってしまいました。25歳の決断です。
なお、売り払って得たお金はすべて結納金に消えました。愛器が愛妻に代わったと自分に言い聞かせました。
こうして私のギター歴は40歳を迎え「復活しかし落胆」するまで暗黒時代に入ります。
【復活しかし落胆】
40歳を過ぎた頃“私とは何か”なーんて思いをめぐらしてみたくなったりしました。そんなことを考えていたら貴重な青春時代に多大な時間を費やしたクラシックギターが、今の私に反映されていないこと、失った時間がもったいなく感じてきます。何せ人生の賞味期限が迫って来ているわけですから。
妻から「後ろ向きな考え」とか「爺くさい」と揶揄されながらも、もう一度ギターを弾いてみようと思うようになり、星野良充氏と松村雅亘氏にギターの製作を依頼しました。特に星野氏には無理を言って昔より軽いレスポンスの楽器を早急に作ってもらいました。この二人の製作家のギターは全く傾向は異なるものの、日本の製作家では飛び抜けた存在であると確信しています。
お世話になっています。m(__)m
届いたギターをチューニングして最初に弾きはじめた曲はなんとノクターナルの出だし、15年のブランクがあっても、さすがに若い頃の記憶は残っていてけっこう先まで進む!「これはいけるぞ」と思ったのに第2変奏(この曲は最後にテーマを演奏する)に行ったとたん挫折、バッハのフーガを・・・めちゃくちゃ!
けっこう曲自体はしっかり覚えていて、次々と弾けるけど、その演奏たるや自己嫌悪の誘発剤にしかなりません。思った以上に肉体的には衰えています。駄目だこりゃ!・・・
アマゾンでギターのCDを検索するとけっこう知らない曲がいっぱい出てきます。調べてみたら15年のブランクの間に多くの作曲家が新曲を書いていました。武満徹もフォリオスと12の歌しかなかったのに、メモリアルCDがギター曲だけで作れるほど(いや、それ以上)に作曲していた。
早速楽譜を用意し「すべては薄明かりの中で」を弾いてみました。フォリオスの挑戦的な曲想からすると晩年の武満を象徴するかのような心地よい曲。
相変わらず初見はまあまあだったのでとりあえず最後まで弾いてみましたが、15年間のブランク時代に激変していたのは暗譜力だ!最初に戻ると完全な初見状態にリセットされてしまいます。毎回、OSを再インストールしてるような感じです。
厚手のゴム手袋をして弾いているような感覚と新曲を覚えられない苛立ちから、松村氏のギターが届いた頃は完全に意気消沈してしまい、ギターへの熱意もすっかり無くなってしまいました。さらに陶芸にはまって、爪があるとロクロが碾けないので爪まで切る始末。こうして再び3年ほど暗黒時代に戻ってしまいます。
私のクラシックギターが今の状況になるにはシャコンヌを通じて「走るアマチュアギタリストかみやん」さんのホームページを知ったことと、プレイヤーズ王国との出会いが必要でした。
【“かみやん”さんとの出会い】
復活したクラシックギターも再び封印して、フルートと陶芸に熱中していた私ですが、私のフルートで演奏したシャコンヌが「走るアマチュアギタリストかみやん」さんの掲示板で取りあげられているのを発見、そこから “かみやん” さんの人となりに感動することになります。この方、シャコンヌの通しを1000回行うという目標を立て毎日コツコツと練習し、その演奏を更新されています。年齢的には私の少し先輩のようですが、ご自身の趣味であるマラソンのように、一つの曲に対して長距離走のような努力する姿に心をうたれました。それに比べ私ときたら、暗譜だけは完了しているので次々と曲を弾いては過去の自分とのギャップに自己嫌悪してしまうダメ野郎です。ずっと続けてきたフルートだって最近は歳をとって技術が衰えてきたわけですから、15年以上もブランクがあったギターは下手なのが当たり前、過去の自分を基準にすること自体がナンセンスだと気づき、目標を持って努力する決意をしました。が、何を目標にするか?・・・
【プレイヤーズ王国の存在】
当初、私にとってプレイヤーズ王国は著作権が存在するため、自分のホームページでは公開できないフルート演奏を公開するためのファイル置き場としか考えていなかったのですが、ここでギターの演奏を公開することを思いつきました。「よし、これを目標にギターを弾こう!」
最初に「武満徹/ロンドンデリーの歌」を公開しました。まだこの頃は左指にタコもできていなかったので、押さえるのが必死でした。プレイヤーズ王国には“K”さんや“Ino”さんをはじめ、本当にほれぼれするようなセンスとリズム感を持ったアマチュアが存在します。彼らの演奏に心底感動していたので、ロンドンデリーのPRに「少々弾けるギター」とか「稚拙なギター」という言葉を入れたら、ガーバーさんからクレームがついてしまいました。でも、そのときは本当にそう思って書いたのです。
それから約20日、ほぼ毎日、夜中2時間ほど練習しています。おかげで慢性的な睡眠不足ですが、目標ができたギターが楽しくてしかたありません。今ではタコも蘇生し、かなり感覚も取り戻してきました。近々、テデスコのソナタ「ボッケリーニ讃」全楽章が公開されますが、ロンドンデリーと聞き比べると、この20日間の上達がよくわかります。
調子に乗ってこれからもギター演奏を公開していきますので、ぜひ聴いてやってくださいませ。
このテキストはプレイヤーズ王国の2007年3月の日記からの抜粋です。