松井孝典(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)の著作に「宇宙人としての生き方―アストロバイオロジーへの招待―」という本がある。私は3年ほど前に読んだが、なかなかおもしろい人間の存在について考察された本だ。この本の最終章の中に、フロー依存型社会(自然の法則と同時進行していく社会)とストック依存型社会(地球の資源を消費して成り立つ社会)をユートピアとアルカディアという表現を使って説明してある。この本の影響で、同じ理想郷を意味するユートピアとアルカディアを、
ユートピア=未来において人類の進歩によりすべての苦難から解放された理想郷。
アルカディア=過去にどこかで存在したであろう、自然調和した理想郷。
と分けてとらえるようになった。このようなパラダイムに立って、 今回は作曲家について考えてみたい。
私はユートピア指向の作曲家とアルカディア指向の作曲家があると思う。
ユートピア型の典型はベートーベンだろう。人生ではあまり恵まれなかったベートーベンは曲の中でユートピアを夢見た。第9交響曲にはユートピア指向がはっきり現れている。混沌とした第一楽章、リズミカルではあるが理想ではない第二楽章、甘美に溺れすぎる第三楽章を経て、第四楽章の前半に至ってもまだはっきりとした理想が見えてこない。第四楽章の途中でやっと理想郷の片鱗を見、後半のマーチから始まり、脇目もふらず困難に打ち勝ち、ついには「Tochter aus Elysium !」と理想郷にたどり着く。5番の運命も似たような構成だ。
アルカディア指向の典型的作曲家はドビュッシーだろう。ドビュッシーは音楽の素材を過去と異国に求めた。ドビュッシーにとっての理想郷はギリシャ時代と東洋だったのだろう。私はベートーベンの未来志向に対し、ドビュッシーの過去回帰的な雰囲気をはっきり感じている。こう考えると演奏上も力のベクトルをはっきりさせることができ、ふさわしいムードの表現ができる気がする。
ユートピア型とアルカディア型はフルート愛好家にも見られる。次回はこれについて考えよう。
ところで、松井孝典教授によると、フロー依存型社会もストック依存型社会も(つまりはユートピアもアルカディアも)どちらも人間にとっては不可能であり、人間とは、もはや生物として生き延びるための存在ではなく、世の中を認識するための存在であると結論づけている。でも、これはこれで私にとってはチト寂しい気がするが・・・
2006.01.31