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バッハとヘンデルのフルートソナタ

 

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 年をある程度とってくると世間ズレするのと、フルートの他に自分の存在価値を立証するものが確固としてできてくるので、フルートがへたくそであっても別に恥ずかしくなくなる。それに、もうずいぶん前から練習をしてもこれ以上技術の上達は見込めないことは自分で悟っている。肉体的にも、精神的にも、ことさら時間的にも不可能だ。羞恥心がなくなったので、最近はDTMのページで私の演奏を公開している。もしも聞いてくださるのなら、素人の演奏だということをお忘れなく、多少のガタは大目に見て(聞いて)いただきたい。
  最初はバッハのフルート作品をアップしてみたが、昨日ヘンデルのソナタをひとつアップしたのを機に、この二人の大作曲家について思いを巡らしてみた。
  バッハとヘンデル、どちらもバロック音楽を代表する大作曲家ではあるが、その人物像と作品にはずいぶんと差異がある。生涯を見ても、バッハは一生涯、ドイツ国内をぐるぐる回っていただけで外国に行くことがなかったのに対し、ヘンデルはドイツ生まれだがイタリアで勉強し、イギリスで活躍したコスモポリタンである。一般的にはバッハの音楽は内省的で、ヘンデルの音楽はイタリア音楽の影響もあり華やかだといわれる。
  しかし、ことフルートのソナタにおいてはあまり当てはまらないような気がする。バッハの音楽のほうが、大きくて深い精神性を持っていて、演奏者が介入しにくい完成美を持っているような気がする。このことが過度の装飾を許さないムードがある一方、ゴージャスな音の現代フルートでの演奏も大いにOKという懐の深さがある。これに対しヘンデルのフルートソナタは、もっとずっとコンパクトで、純粋音楽的な美があるとともに、イタリアバロック的な旋律的装飾を可能にする要素もある。
  こんなことも考えてバッハには現代的なラファンの頭部管を使い、ヘンデルにはトラベルソとまではいかないが、古風な雰囲気を出してくれるバーカートのチェンバースタイル頭部管を用いてみた。
  あくまで稚拙な演奏ではあるが、こんなことも考えて演奏しているわけだ。

2006.01.30