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セクエンツァの二つの版

 

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私がこの曲に始めてであったのは高校生の時にニコレのレコードを買ったときだ。今は絶版になって久しいが、このレコードは名盤だと思う。カールエンゲルのすばらしいピアノでモーツァルトのソナタ、絶品の演奏の「しぼめる花による変奏曲」などとともに、B面にはたしかバッハのソナタの後、イベールの無伴奏小品、セクエンツァ、「冥」、シリンクスの順番で入っていた。
イベールは練習したことがあったので知っていたが、セクエンツァは全く知らなかったし、楽譜も持っていなかったので、何回聞いても、どこまでがセクエンツァでどこからが「冥」なのかどうしてもわからず、レコードの表面の溝を見ながら曲の始めと終わりを確認した想い出がある。
このレコードでのニコレの演奏は実にすばらしく永く私の基準となっていたのだが、数年前その基準を揺るがす事件が起きた。ユニバーサル出版の新版が出たことだ。
ムラマツのビデオライブラリーにニコレによるセクエンツァの公開レッスンビデオが発売されたので、当然すぐに購入し何度と無く見た。(この回数は私の娘が「アルプスの少女ハイジ」のビデオを見た回数に匹敵する)
レッスンはすばらしいもので、自分でわからなかった所も実に良く理解できた。
ところで、ユニバーサル版の楽譜が出版されたわけは、ベリオ自信がいろいろな演奏家の演奏を聴いて、リズムやタイミングが意図するものと違うので、正確な記譜をし、正確に演奏してもらうために書き直したものだ。
その楽譜を見ながらニコレのビデオを見ると、???な部分が出てくる。しかしニコレの演奏は相変わらずすばらしい。誰かの言葉に「作曲者が作曲を完了した瞬間に曲は他人のものになる」とあった。私は未だにニコレの演奏の方が正解だと思っている。
もっとも、僕のソルフェージュ能力ではユニバーサル版は演奏できない文献にしか見えない。

ところで私はDTM(コンピュータミュージック)を少々やっている。
ニコレのビデオの中で「イタリア人の会話」だといって、寺本氏とデュエットをやっていたので、私も面白がって、コンピューターにこの曲の細切れシーケンスを作り、適当に並び替えて演奏させて遊んでみると、結構それらしい曲になってしまう。
そうか!シーケンス(Sequence)とセクエンツァ(Sequenza)は同じなんだ。

1999.04.02