楽器を選択する上で重要なポイントがある。私も含め、楽器を評価する場合、まず音の事にふれるだろう。楽器は音を出すものだから当然真っ先に語られるものだ。次は吹き易さや相性だ。しかし、忘れてならないのは、フルートは工業生産品である。いってみれば精密な機械に他ならない。今回はこの精密さがもたらす光と陰を考えてみる。
ムラマツのジレンマ
フルートが精密機械であるのなら、精密なほど良いように考えがちだが実はそうではない。
ストロビンガーやムラマツの新パッドはパッド自体の平面安定性はフェルトパッドに比べると格段によい。フェルトパッドの場合は、完全に調整したといっても完璧な密閉性があったわけではなかった。
それでも十分実用の範囲だっただけだ。その程度で良かったので、メカニズムもある程度アソビがあってよかった。わかりやすくいうとパッドのアソビとメカニズムのアソビのバランスがとれていて実用的には十分だったといえる。
ところがシンセティックなパッドに替わると、もっと完璧な密閉性が出せる可能性があるが、パッドの誤差が10分の1になれば、それを支えるメカニズムの精度も10分の1に精度を上げないと実現することはできない。パウエルやブランネンなどはストロビンガーを使用していてもメカニズム自体にそこまでの精度を追求していない。だから実はストロビンガーの持つ能力を100%発揮してはいないともいえる。
しかしこだわりの強いムラマツは徹底してメカニズムの精度を上げることに取り組んだ。
すべてを記すわけにはいかないが、いくつかのポイントをあげると、通常芯金に使われている13ステンレスの芯金は鋼材に比べると弾力性があり、演奏中にたわみやすい。芯金がたわむと僅かにパッド表面がトーンホールに対して斜めに当たることになり、せっかくの密閉性が僅かに失われる。
これを防ぐために芯金をステンレスから堅い鋼材に変更した。
こうして芯金の精度をあげたら今度はキーパイプと芯金のアソビが気になる。アソビが多いとせっかく曲がりに強い鋼材を使ってもアソビで誤差が出てしまう。そこでキーパイプと芯金とのクリアランス(隙間)を極限まで狭めた。こうするとアソビはなくなったが、なんと今までのキーオイルは浸透しなくなった。
そこで今度は浸透するオイルに替えた。ムラマツのキーオイルは製造番号によって使い分けないといけない羽目になった。
これでキー精度は抜群に上がったが調整ねじの調整できる精度がイマイチだったのでねじのピッチをさらに小さくしてもっと微調整ができるようにした、ネジの精度が上がるとそれに接する・・・
このようにパッドの精度をあげてそれにメカニズムを合わせていくと次々と精度を上げていかないといけない箇所が出てきた。こうして完璧なメカニズムが完成したのだが、どうしても改善できない部分が出てきた。それは使用者の手に渡ってからのことだ。
いくらメーカーがフルートの精度を10倍精密にしたからといって、使用者が10倍丁寧に扱うわけではない。ユーザーの中にはキーオイルはどこのメーカーのもの使っても良いと思っている方も少なからずいらっしゃる。
真夏の炎天下で汗だくになりながら野外でロングトーンに励む吹奏楽部員もいる。
あっという間にキーパイプの中に汗がしみこみ、鋼材の芯金をさびさせてしまう。クリアランスが極限まで狭いので僅かのさびでもキーは動かなくなる。
今年の夏もずいぶんたくさんのキー固着を修理した。
さびを削り取り、そのまま組み立てると必ず再度さびるので、毎回、芯金を焼いて青さびをつけ、オイルを回らせてから組み立てなければならない。
確かに密閉性が良くなって音は格段に鳴るようになった。しかし、取り扱いに注意しないとトラブルが出るようになった。この点は昔の多少“ゆるく”作られていたフルートの方が故障しにくかったと思う。皮肉にも「最近のムラマツは丁寧で精密な作りをするようになったので故障が多くなった」といえる。
このような楽器の特性上発生するトラブルは、特約店として仕方がないのでほとんど無料で修理している。困ったものだ。
技術者としてどこまで調整するか
「もてる能力のすべてを注ぎ、そのフルートを極限まで調整し、楽器の持つ能力を100パーセント出す」
こんな技術者が優秀なように思われるが、実はそうではない。極限まで調整すればするほどその安定性は針の先のように細くなり、すぐにバランスが崩れてしまう。極限まで調整したテイストをユーザーが体験すると、確かに一瞬はびっくりして満足するが、すぐに調子が悪くなったと訴えてくるはずだ。
調整の精度をどこまで出すか決定し、常に安心して使用できる安定した状態にすることが、本当に親切な技術者だと思っている。実はこのバランスが一番難しい。工場でも指摘されたが、「過剰品質」にならないように特に神経を使っている。
トラッドパッドがいちばん?
数年前にムラマツの新パッドについて書いたとき、この何年かでどのメーカーもトラッドのパッドから新しいシンセティックな材料のパッドに変わっていくだろうと予測した。
しかし、現実にはそうならなかった。ほとんどのメーカーは今でもトラッドなパッドを使用している。BBSでもムラマツ以外のメーカーは新パッドにしないのだろうかという書き込みがあった。
なぜ他のメーカーが安易にシンセティックなパッドに替えないかこれでおわかりだろう。
何事もバランスがいちばん!大切なことだ。
2006/10/17